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2016-11-01 [Tue]

聾の形

劇場アニメ「聾の形」を見ました。原作も全巻読んでいます。最初に雑誌掲載されたバージョンも読んでます。それを改稿した読み切りバージョンは読んでないです。

まず、真面目なことを書く前に、身もふたもないことを書いてしまうと、硝子ちゃんが可愛くておっぱい大きいから成立する部分はありますよね、と。

さて。

最初のバージョン、連載の最初の部分というのは、「書かずにはいられなかった作品」という印象を受けました。それだけにパワーがあります。

高校に入ってからの部分は、ものすごく考えて悩んで組み立てられたという印象を受けました。同時に、これだけのものを組み立てられる作家なのだろうとも思いました。

だけど、考えて組み立てられているだけに、書き手視点で見てしまうと分解と解釈というプロセスが可能になるんですな。そうして、ついつい、こことここがリンクしていて、ここでこう消化して、でもこう持っていくしかないよなあ、などという見方をしてしまう。

それはそうと、一番気になったのは、父親がまったく出てこないな、という点でした。欠如とか欠落を表現しようとしたときに、最初に削られるのは父親なのかと。まあ分かりやすくはあるのですが。

原作にある映画のエピソードを削ったのは正解だと思いました。尺の問題もあったのでしょうけれど、あの映画は劇中劇というか、メタ構造になってしまっているという解釈もできて、作り手の釈明になりかねない。

個人的には、硝子の母親というのが一番突き刺さるわけです。まあ、これはしょうがない。

同時に、このキャラは非常に難しいとも思います。原作に出てきた過去話が出てこないし。

そして、このキャラの言動は、作者も考えて描写しているのが分かります。土下座をする姿は、ああ書かざるを得ないでしょう。しかし同時に、あの土下座の時の彼女の気持ちのありようの本当のところというのは、受け手側に本当に伝わっているのだろうか、いやそもそもそれは何かしらの表現で伝えられるものなのか、という疑問を切実に感じました。

だからと言って、「俺なら表現できる」と言うつもりはありません。自分は多分理解はできるし、自分自身一歩間違えれば心のスイッチが切り替わってしまう危険性を抱えながら生きている。だけど、この危うさを表現するのは、本当に難しいことなのではないかと。

ただ、母親の土下座と硝子の謝罪とは、少しだけ違うと思うのです。もしかすると長く一緒にいるうちに同じようなことになっている可能性はありますが、その感情の成立の背景が、やはり違う。

もしかすると、この違いに、このテーマの突破口があるのではないかと思いました。

だから、子供たち同士が直接やりあう部分を中心に置いたことは正しいアプローチだと思います。

そうだとすると、今度は硝子の意思表示をどうするかという問題があります。原作では硝子から世界はこう聞こえているというシーンがありました。映画ではその部分が明示的にはありませんでした。

しかし。「聾の形」というタイトルと、主人公の求めていることを合わせると、「硝子が伝えたいことを理解したい」というスタンスの作品とも読めます。これだと、言い換えれば(難癖かもしれませんが)硝子が伝えなければ理解されないことになります。当然と言えば当然で、硝子の母親についてはもはや難しいか多少は本人にもどうでもいい気持ちがあるだろうと思いますが、硝子はまだ前に進める余地があるように思います。

そこを、もう少し引き出せなかったのか、表現できなかったのか、というのが、気になりました。


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