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2016-12-26 [Mon]

塞翁が馬的なこと

今朝駅の自動販売機でジュース買おうとしてお金いれてボタン押したんだけれど、商品が出てきませんでね。

たまにあることではあります。

駅の窓口か、自動販売機の管理会社に言えば返金してもらえるけれど、ホームから改札まで戻るのも大変だし、時間もないし面倒だしで、いいやと思ってしまったわけですわ。

丸損ですよ。

小銭だけれど。

でもここで「まあまあ、もしかすると、これは年末あたりに宝くじがドンと当たる露払いかもしれぬ」などと思い、いや当たるはずなんか絶対ないんだけれど、そう思うことで「ま、いっか」と思ったわけですわ。

人間万事塞翁が馬というやつですな。

同時に、ここで「ま、いっか」と思えない人は、もしかして一日中このことを考えて、落ち込んだりイライラしたりするんじゃないかとも思ったわけですわ。

小銭とはいえ、金のことはそんな簡単にあきらめちゃ駄目だろというのは、ひとつの理としてあるとは思う。

とはいえ、結局色々なものを天秤にかけて判断をするわけで、おっさんになると天秤のパラメータとして「時間」とか「体力」とか「怒ることで消耗するエネルギー」とかも含まれてくるので、「ま、いっか」というのは一般的にはとても大事。

だけど、塞翁が馬ってのは、最終的にプラスになればいいという前提があり、その前提は「生きていれば最終的には良い事があるさ」という成功体験の積み上げに裏打ちされている。

何をやっても良い結果になった経験がない人は、塞翁が馬理論を受け入れない。

しかし、何をやっても「これは、まあ、良いことだと言えるな」と思えない人は、塞翁が馬理論の積み上げもできない。何か変なことがあっても、まあ良いことかもしれない、などと思えると、塞翁が馬理論が積み上げられる。

フィードバック回路である。

塞翁が馬シンギュラリティと呼んでもよいかもしれない。

飛躍ではあるが、もしかして、AIシンギュラリティに本当に到達するかどうかは、実は初期パラメータの時点で既に定まっていて、僕等はそのパラメータが何なのかを知らないだけなのではないだろうか。

しかし、それがパラメータであるのなら、そのパラメータが成立している宇宙と、成立していない宇宙とがあるのではないだろうか。

などと、しょうもないことを考えながら、書くべき作文を進めることもできず、いいやもう帰ろうかなどと思う今日この頃。


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