魔法使いの夏休み

著: 木本雅彦

4.

次の日の朝は、よく分からない喧噪の中で目が覚めた。車の音や廊下を人が走
る音なんかを、寝ぼけまなこの中で聞いたような気がする。

眠い目をこすりながら適当に着替えをして、階下に降りて行ってみたら、一気
に目が覚めた。

玄関には男が立っていた。

ユッカ姉がその男に抱きついていた。しがみついていた。すがりついて泣いて
いた。

何か言っているみたいだったけれど、言葉になっていなかった。

男は優しい表情で、ユッカ姉の肩を抱いていた。

一目で分かった。この人がユッカ姉の旦那さんで、ユッカ姉を悲しませた張本
人だ。

帰れ、と思った。追い出そうと思った。

魔法を使ってこいつを飛ばしてしまおうと思い、なんども指を回転させた。し
かし魔法は発動しない。

繰り返し念じながら指を回す。

帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!

だけど魔法は使えない。

理由は分かる。何故なら、僕はもう魔法使いじゃないからだ。

少しだけ見えたユッカ姉の横顔は、涙にまみれている癖に、ものすごく幸せそ
うだった。

僕はそれが、堪らなく悔しい。



ユッカ姉はその日の早い時間に、旦那さんに連れられて帰っていった。

昨夜の魔法は、僕が使った最後の魔法は、成功していたのだ。

ユッカ姉が望んだ幸せ、求めた幸せというのは、つまりそういうことだ。

結局僕では、ユッカ姉を癒すことさえも出来なかった。ただの役立たずだ。

僕はやりきれない気持ちのまま、帰りの電車に乗った。再びいくつもの山と街
を越えて、仕事の待つ都会に帰っていく。来るときと同じ顔が、電車のガラス
窓に映っていた。

いや、前と同じではないな。僕はもう魔法使いじゃない。

そう、僕はもう魔法を使えない。

だけど僕は忘れないだろう。

魔法使いだったこの一年のことを。

最後に使った魔法のことを。

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