告知など


2016-12-08 [Thu]

IoTデバイスっぽいものの通信アーキテクチャのこと

カシオの置時計で、Bluetooth経由でスマートフォンと連携するものがあります。

http://casio.jp/wat/watch_detail/DWS-200J-7/

スマートフォン経由で天気情報を取得して表示したり、おそらく時刻同期もスマートフォン経由でやっているのではないかと思います。

ポイントは、これは置時計であり、通信の中継をしているスマートフォンは移動体であること。

おっさんエンジニアの発想からすると、置時計はその場のインフラであるところの、有線なり無線なりのLANに接続されるべきだと考えてしまうわけですが、こいつの通信の中継をしているのは、環境のインフラではなくて人間が持ち歩いているモバイル通信デバイスであるところのスマートフォンです。

確かに考えてみれば、気象情報の取得や時刻同期は常時接続されている必要はなく、不定期に接近する人間(が持っているデバイス)を中継できれば十分だし、設置場所にネットワークインフラがない可能性はあるが、スマホを持っている人間が設置場所近辺にいる可能性は高い。何より、買った人間がいるわけだし。

これと同じような形で、通信インフラの前提が有線・無線LANではなく、スマホによる中継というものを、最近見かけるように思う。

これって、いわゆる「IoTデバイス」と言った時の通信モデルが、当初みんなが思い描いていたものとは違ってきていることだと思います。加えて、中継するモバイルデバイスが複数の人のスマホだったりすると、モデルとしてはNEMOに近い?のか?本当か?などと考えてしまいます。PANとも違うんだよね。物理的固定デバイスだから、位置情報は変わらないわけだし。

LTEや5Gだけじゃなくて920MHz帯あたりも出てきているものの、電波はやっぱり有限なわけで、この先どうなっていくのか非常に興味深いです。


2016-11-20 [Sun]

この世界の片隅で

劇場アニメ「この世界の片隅で」を見てきました。

http://konosekai.jp/

普通に正直に真面目にある種愚鈍に、大変なこともあり楽しいこともあり、それでも日々、少しずつ頑張りながら生きていく。

それだけのことが、今の僕はどうしてこんなに大変なのだろう、と思いながら見ていました。

また、この映画は「1945年8月6日広島」という日本人にとっては誰もが知っていてある種刷り込まれている日に向かい、経由する物語である。そういった背景を共有しているかどうかで、受け取り方は全然違ってくる。

この作品には、あまり説明がない。ただ、細かくて正確で丁寧な描写がある。見る側は、描写の中から読み取らなければならない。

ネタバレになるし、僕の「読み取り」が誤っているかもしれないので、細かなところで「これはこういう意味だよね」みたいなことは書かないが、描写されている色々なことが「あの時代はああだったんだな」ということばかりで、それは良いこともあるい良くないこともある。

ほんの数十年前の日本は、ああだった。

それから時間をかけて、色々なことを変えたり積み重ねたりして、今ができあがっている。

できあがった今が、数十年前の日本の問題を全部解決できているとは思えないし、全然よくなっていないこともある。それから目を背けるつもりはない。

だけど、せっかく作ってきた世の中は、簡単にこわしてはいけないよなあとは思う。


2016-11-01 [Tue]

聾の形

劇場アニメ「聾の形」を見ました。原作も全巻読んでいます。最初に雑誌掲載されたバージョンも読んでます。それを改稿した読み切りバージョンは読んでないです。

まず、真面目なことを書く前に、身もふたもないことを書いてしまうと、硝子ちゃんが可愛くておっぱい大きいから成立する部分はありますよね、と。

さて。

最初のバージョン、連載の最初の部分というのは、「書かずにはいられなかった作品」という印象を受けました。それだけにパワーがあります。

高校に入ってからの部分は、ものすごく考えて悩んで組み立てられたという印象を受けました。同時に、これだけのものを組み立てられる作家なのだろうとも思いました。

だけど、考えて組み立てられているだけに、書き手視点で見てしまうと分解と解釈というプロセスが可能になるんですな。そうして、ついつい、こことここがリンクしていて、ここでこう消化して、でもこう持っていくしかないよなあ、などという見方をしてしまう。

それはそうと、一番気になったのは、父親がまったく出てこないな、という点でした。欠如とか欠落を表現しようとしたときに、最初に削られるのは父親なのかと。まあ分かりやすくはあるのですが。

原作にある映画のエピソードを削ったのは正解だと思いました。尺の問題もあったのでしょうけれど、あの映画は劇中劇というか、メタ構造になってしまっているという解釈もできて、作り手の釈明になりかねない。

個人的には、硝子の母親というのが一番突き刺さるわけです。まあ、これはしょうがない。

同時に、このキャラは非常に難しいとも思います。原作に出てきた過去話が出てこないし。

そして、このキャラの言動は、作者も考えて描写しているのが分かります。土下座をする姿は、ああ書かざるを得ないでしょう。しかし同時に、あの土下座の時の彼女の気持ちのありようの本当のところというのは、受け手側に本当に伝わっているのだろうか、いやそもそもそれは何かしらの表現で伝えられるものなのか、という疑問を切実に感じました。

だからと言って、「俺なら表現できる」と言うつもりはありません。自分は多分理解はできるし、自分自身一歩間違えれば心のスイッチが切り替わってしまう危険性を抱えながら生きている。だけど、この危うさを表現するのは、本当に難しいことなのではないかと。

ただ、母親の土下座と硝子の謝罪とは、少しだけ違うと思うのです。もしかすると長く一緒にいるうちに同じようなことになっている可能性はありますが、その感情の成立の背景が、やはり違う。

もしかすると、この違いに、このテーマの突破口があるのではないかと思いました。

だから、子供たち同士が直接やりあう部分を中心に置いたことは正しいアプローチだと思います。

そうだとすると、今度は硝子の意思表示をどうするかという問題があります。原作では硝子から世界はこう聞こえているというシーンがありました。映画ではその部分が明示的にはありませんでした。

しかし。「聾の形」というタイトルと、主人公の求めていることを合わせると、「硝子が伝えたいことを理解したい」というスタンスの作品とも読めます。これだと、言い換えれば(難癖かもしれませんが)硝子が伝えなければ理解されないことになります。当然と言えば当然で、硝子の母親についてはもはや難しいか多少は本人にもどうでもいい気持ちがあるだろうと思いますが、硝子はまだ前に進める余地があるように思います。

そこを、もう少し引き出せなかったのか、表現できなかったのか、というのが、気になりました。


2016-10-30 [Sun]

エヴァンゲリオンの残像

Kindleで、今更ながらスキゾ・エヴァンゲリオンとパラノ・エヴァンゲリオンを読みましてね。

あの当時の、今となっては謎のとしか言いようのない熱量を思い出したりしたのですが、スタッフ(ガイナックスのコアメンバー)の座談会とか、庵野監督のインタビューとか読んでいて、やっぱりすげーことやる連中はどこかおかしくて、そういう連中は仲間を呼び合うのだなということを思いました。

いや、労働環境の問題とかね、色々あるんだけれど、好きなことは全力でやりたいし、やったら楽しいし、贅沢できなくても飯は食えたいよな。


2016-09-09 [Fri]

シン・ゴジラと明倫館書店

シン・ゴジラを見た。開始数分後から、ずっと泣いていた。涙が止まらなかった。

なんだ?なんで僕は泣いているんだ?と思いながら、その理由は簡単に説明できるのだけれど、それを言語化することに躊躇しながら、それでもずっと泣いていた。

何故僕があの作品で泣いたのか?それは、「ああ、あそこには僕の居場所はもはやない」と思ったからだ。

首都の危機に自分の能力、知識、人脈、技術を駆使して戦う最前線に、僕の居場所はない。

官僚を目指したことはないし、そういう意味での「あそこ」ではないんだけれど、道を切り開く最前線集団の片隅にほんの少しだけでも身を置いていたという意識はあるし、「すわ鎌倉」的な、いざという時には俺たちが道を切り開くぜ、的な意識があったつもりでいた。

だけど今はもう、そんな意識もないし、そんな実力もない。

僕はもう、あそこには行けない。

神保町に、明倫館という古書店がある。自然科学系の専門書を扱った古書店だ。あそこの地下には技術系工学系の専門書が山のように並んでいる。歴史的に価値があるもの、あるいは歴史的にもはや価値がないもの(いやそういう本はあまり置いてないな)、山のように積んである。明倫館を訪れるたび、専門書に囲まれて、ああここにある知識を全部自分のものにできたらいいのに!いや、これなんかはちょっと専門からは外れるけれど、今から勉強したらなんとかなるんじゃないか?すばらしい!この世界の知識を可能な限り貪欲に手に入れたい!と思ったものだ。

先日久しぶりに(数年ぶりかもしれない)近くに用事があったので、明倫館に行ってみた。

地下の品揃えのうち、学問に近い部分はあまり変わっていなかった。コンピュータ系はほとんどなくなっていた。あまりにも技術の変化が激しすぎて、基礎的な内容以外は置かない方針にしたのかもしれない。

大量の専門書を前にして僕が思ったのは、「あ……ここにはもう、僕の居場所はないや……」であった。

学ぶ能力が劣化した人間に対して、本たちは冷酷だった。本に無視されているような感じがした。疎外感だ。

知識の山、学問の山、ここにもう僕はいてはいけないと言われている……言われている以前に、自分でいてはいけないと感じた。

僕にはここにいる資格がない。

だけど僕には別の生き方があるじゃないか!……なんていう前向きな内容には進まない。

一位じゃなくてもいいかもしれないけれど、学び、考え、最前線に立つ力を失った人間には、科学も技術も冷酷だし、そうあるべきだ。

だから僕は身を引くタイミングを探している。

二流三流で平気な顔をして生きていけるほど厚顔でもないし、老兵と化したFreeBSDのお父さんは、どこかに身を隠さなければならないのだ。雌伏するべき時なのだ。

ただ、胸の中の火が完全に消えているわけじゃあ、ないよ?


2016-08-24 [Wed]

文章が書けない。

うん、書けないんだな。最近。いや、しばらく、ずっと。

このところ少しだけ元気になっていて、考え事をしながら頭の中で文章を作り出すことはできるようになったけれど、それをテキストとして書き起こすきっかけを作れない。

その少し前までは、文章を作り出すことができなかった。しりゃ仕事で文章を書くことはあるので、絞り出せば出せるくらいの腕はあるが、そもそも文章、言葉、語り、そういったものは、僕にとって自然と脳内から湧いて出るものだったので、ある日ふと、あれ「語り」が出てこないなと気づいた時、非常な危機を感じた。

ブログが止まっているのも、外向けの執筆活動がほとんどないのも、半分はそのためだ。

テキストを生み出すのに、そのための時間を捻出する必要なんかなかった。

気がつけば書いていた。

僕にとってはプログラムのテキストも、同じようにさらりと内側から出てくるものだった。内側から自然と出てきた上で、それを推敲しチューンナップする。そういうことをやっていた。

言葉もコードも出てこなくなったある時期、僕はどうしていいのか分からず、それも必死にそれらをひねり出していた。

今はちょっとまし。

言葉もコードも、それなりに出てくるようになった。しかしそれを形にする時間を作り出すのに苦労している。

本当は、そんなに苦労するほど時間がない生活を送っているわけではないんじゃないかという気もしている。

単に頭の中のとっちらかりかたが落ち着かず、時間の利用効率が落ちているだけなんじゃないかとも。

そうかもしれない。

そうでないかもしれない。

ただ、僕がまだ完全にあきらめていない理由は、もし何かの理由でからっぽになることができて、目の前にまっさらな空間が広がるようなチャンスが巡ってきたら、再び動き出せる予感は自分の中で死んでいないからだ。

何かが、まだある。残っているという表現ではなく、空っぽになったらなったで、次を探しに行こうという意欲が、まだ枯れていない。

だから僕は、もう少しだけ、もがき苦しむ日々を続けようと思う。


2016-08-04 [Thu]

NEDOのワークショップに行ってきました

「次世代人工知能技術社会実装ビジョンワークショップ」

http://www.nedo.go.jp/events/NA_100014.html

これな。

NEDOが発表した次世代人工知能技術社会実装ビジョンに基づいて、前半は講演、後半はパネルディスカッション。

当初思っていたより、面白かった。途中から非常に熱い内容でした。

内容についての詳細は省きますが、聞いていて思ったことだけ書きます。

上記のビジョンの人工知能及びその関連技術の進展は、縦軸に技術分野の分類が並び、横軸に年代が並びます。

縦軸について何かが足りないなあと思ったのですが、最後のほうで気づいた。「芸術」がない。

帰宅してから奥さんに「医療・福祉がない」という指摘も受けたのですが、そっちは厚労省だからねえ。

芸術も文科省・文化庁の管轄だから、とかいう理由かもしれない。

人工知能方面に関する僕の興味は、三点あります。

・自分が働かなくてもお金が入る仕組みを作りたい

・小説、あるいは物語の構造の解析を、人工知能を道具として行いたい。

・知的に遅れがある人たちの中にあるロジックを理解する手助けとして人工知能(あるいはその理論)を使いたい

で、上記の「芸術」がない問題と重ねると、クールジャパン的コンテンツ製作という技術分野があってもいいよねえと思ったのですよ。

たとえば小説だと学習素材になるテキストは、「小説家になろう」あたりに大量に転がっているわけですよ。

物語の自動生成に関する研究について、国内の論文をざっと調べたのですが、実はあんまりない。

あったとしても、作家としてのヒューリスティクスを導入する余地はなさそう。いやヒューリスティクスじゃないだろという声もあるかもしれないけど。

ということで、この方面に少し取り組んでみようかなと思った次第です。

僕等はワクワクすることをやりつづけるべきなのだよ。


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