告知など


2016-08-24 [Wed]

文章が書けない。

うん、書けないんだな。最近。いや、しばらく、ずっと。

このところ少しだけ元気になっていて、考え事をしながら頭の中で文章を作り出すことはできるようになったけれど、それをテキストとして書き起こすきっかけを作れない。

その少し前までは、文章を作り出すことができなかった。しりゃ仕事で文章を書くことはあるので、絞り出せば出せるくらいの腕はあるが、そもそも文章、言葉、語り、そういったものは、僕にとって自然と脳内から湧いて出るものだったので、ある日ふと、あれ「語り」が出てこないなと気づいた時、非常な危機を感じた。

ブログが止まっているのも、外向けの執筆活動がほとんどないのも、半分はそのためだ。

テキストを生み出すのに、そのための時間を捻出する必要なんかなかった。

気がつけば書いていた。

僕にとってはプログラムのテキストも、同じようにさらりと内側から出てくるものだった。内側から自然と出てきた上で、それを推敲しチューンナップする。そういうことをやっていた。

言葉もコードも出てこなくなったある時期、僕はどうしていいのか分からず、それも必死にそれらをひねり出していた。

今はちょっとまし。

言葉もコードも、それなりに出てくるようになった。しかしそれを形にする時間を作り出すのに苦労している。

本当は、そんなに苦労するほど時間がない生活を送っているわけではないんじゃないかという気もしている。

単に頭の中のとっちらかりかたが落ち着かず、時間の利用効率が落ちているだけなんじゃないかとも。

そうかもしれない。

そうでないかもしれない。

ただ、僕がまだ完全にあきらめていない理由は、もし何かの理由でからっぽになることができて、目の前にまっさらな空間が広がるようなチャンスが巡ってきたら、再び動き出せる予感は自分の中で死んでいないからだ。

何かが、まだある。残っているという表現ではなく、空っぽになったらなったで、次を探しに行こうという意欲が、まだ枯れていない。

だから僕は、もう少しだけ、もがき苦しむ日々を続けようと思う。


2016-08-04 [Thu]

NEDOのワークショップに行ってきました

「次世代人工知能技術社会実装ビジョンワークショップ」

http://www.nedo.go.jp/events/NA_100014.html

これな。

NEDOが発表した次世代人工知能技術社会実装ビジョンに基づいて、前半は講演、後半はパネルディスカッション。

当初思っていたより、面白かった。途中から非常に熱い内容でした。

内容についての詳細は省きますが、聞いていて思ったことだけ書きます。

上記のビジョンの人工知能及びその関連技術の進展は、縦軸に技術分野の分類が並び、横軸に年代が並びます。

縦軸について何かが足りないなあと思ったのですが、最後のほうで気づいた。「芸術」がない。

帰宅してから奥さんに「医療・福祉がない」という指摘も受けたのですが、そっちは厚労省だからねえ。

芸術も文科省・文化庁の管轄だから、とかいう理由かもしれない。

人工知能方面に関する僕の興味は、三点あります。

・自分が働かなくてもお金が入る仕組みを作りたい

・小説、あるいは物語の構造の解析を、人工知能を道具として行いたい。

・知的に遅れがある人たちの中にあるロジックを理解する手助けとして人工知能(あるいはその理論)を使いたい

で、上記の「芸術」がない問題と重ねると、クールジャパン的コンテンツ製作という技術分野があってもいいよねえと思ったのですよ。

たとえば小説だと学習素材になるテキストは、「小説家になろう」あたりに大量に転がっているわけですよ。

物語の自動生成に関する研究について、国内の論文をざっと調べたのですが、実はあんまりない。

あったとしても、作家としてのヒューリスティクスを導入する余地はなさそう。いやヒューリスティクスじゃないだろという声もあるかもしれないけど。

ということで、この方面に少し取り組んでみようかなと思った次第です。

僕等はワクワクすることをやりつづけるべきなのだよ。


2016-08-03 [Wed]

恐ろしいことに八月

八月ですよ。夏ですよ。もうちょっと余裕を持った生活をしたいです。

先日、半年ぶりくらいにジムに行きました。例によって黙々と自転車こいだり、早歩きしたりしました。

ウォークマン持っていって、久しぶりに林原めぐみのアルバム聞きながら運動したんですわ。

林原めぐみと言えば、丁度僕が大学生から大学院生の時期に、人気うなぎ上りでして、当時アルバムも全部買ってました。

あの時期、声優が歌手的あるいはアイドル的活動を広げていく中で、それに対する批判もそれなりにあったように記憶していて、林原めぐみはというと、実力で、しかし軽やかに、道を切り開いていき、その姿がファンにはとても頼もしく思え、輝いて見えていました。

当時の曲を聞きながら、ああそういえば僕はあの頃あの作品が好きだった、この作品が好きだった、こんな音楽が好きだった、こんな物を作っていた、なんてことを色々思い出しました。

そうだった、全力で好きだった。

じゃあ今では好きではないかというと、そんなことはない。

好きなことは好きなまま。

でも全力は使えない。

だからと言って、あきらめていいのかと。

いや、あきらめない。

「好きを貫け」という言葉を肯定し続けてきた以上、それを翻す気はない。

やることが増えたら、それを「好き」の対象に入れてしまって、好きなことを増やせばいい。

増えた好きなことを、改めて全力でやればいい。

もし仮に自分が好きを貫くことを邪魔する要因があるのなら、全力で戦えばいい。

楽ではないかもしれないが、シンプルなことだ。

それだけのことだ。


2016-06-22 [Wed]

息子が5歳になりましてね

ええ、息子が誕生日をむかえて5歳になって、最近の息子はこんな感じだよーってのを書こうと思っていたのですが、時間も気力もなくて、何にもできてませんな。

最近どうなのよって話は定期的に書きたい。生活とか、子供のこととか、技術的なネタとか。

どうしたものかねえ。


2016-04-07 [Thu]

2016年度になりました

年度をこえまして。

少し休んで頭をクリアにせねばと思っているのですが、タイミングを逃しています。


2016-01-18 [Mon]

2016年になりました

あけましておめでとうございます。いや、もう1月も半ばなんですけどね。

忙しいんですよ、それこそ死にそうなレベルで。

いくつかブログに書いておこうかなと思ったネタはあったのですが、書く気力が出なかった。時間もなかった。

今も時間はない。

つらい。

今年の目標は、楽してお金を稼ぐ。いや、楽というか、まず考えるための余裕を作るため、足場となる資金を稼ぐ。

そんな感じであります。

さて、そんな私がこのクソ忙しいなかに筆をとったのは理由がありまして。

以下のような記事が公開されました。

ランサーズでテンプレラノベを作ってもらった

内容をまとめると、テンプレ能力系ラブコメの冒頭プロットを渡して、執筆してもらうというのを、クラウドソーシングしてみたって話です。

http://www.lancers.jp/work/detail/856228

この案件のようですね。

で、この記事の筆者は、こんな感じで一本書いてみようと思っているようです。

価格をみると、3000文字で、6480円。プロの作家の原稿料の相場の1/10ですな。

とはいえ、PBMとかPBW系のゲームのシナリオ?GM?みたいなの、これくらいの原稿料で募集してたりするんだよね。

ライティングの相場というのもまた、デフレっている気がします。

それはそれとして。

このやりかた自体は面白いなと思ったんですよ。

たとえば、文庫一冊を少し細かく10章に分割してみます。すると、1章が1万字くらいになります。

1万字を1万円でクラウドソーシングしたとすると、10万円で一本分の原稿になります。

10章のプロットを一気にばらまいて書いてもらってもいいかもしれないし、一章ずつ「続きを書いてください」として発注してもいいかもしれない。

どっちにしても提出された原稿は全体的に手直しする必要はあるだろうけれど、これで本当に「作品と呼べる代物ができるのか」という実験はしてみてもいいかもしれない。実験費用として10万くらいなら、まあ出してもいいかなというレベルだし。

……という実験をするのは、もはや不可能ではない。やろうと思えば、今日にでも実行できる。

ただ、これには色々と派生する問題というか、問いかけがあるなあと思ったわけですよ。

まず、この価格は不当に安い。原稿料以下。しかし、これで書こうという人がいたっていう事実は事実としてある。

クラウドソーシングが成立する条件ってのは色々あるとは思うけれど、ひとつには需要と供給の経済格差を利用するってのがあります。発注する側からすると10ドルは安いけれど、受注する側からすると10ドルは高価っていう場合。ライティングの場合、それなりの品質での作文能力や、そもそも言語の壁ってのがあるのですが、日本市場の中でも安い価格での需給が成立してしまうという状況。

だいたい、ライティングってのはクラウドソーシングされてよいものなのかという問題があります。

クラウドソーシングは相手にするのがクラウドであるという前提なんだけど、クラウドの連中にライティングができるのか?でも現実的にできる。これはクラウドソーシングの別の側面、プロフェッショナルが自分の都合に合わせて小さな仕事を受けるケースに当てはまると思います。そういう場合は、プロの仕事の相場よりは安いことはあるけれど、あまりにも低すぎるということは少ない。あまりに安い場合は、たいてい駆け出しとか仕事の質が低いとかです。

上記ブログの結果である「プロ相場の1/10の値段で、そこそこの原稿が上がってきた」というのは、見方を変えると、

・テンプレ能力系ラブコメの原稿は、もはやプロフェッショナルの仕事ではなく、クラウド集合体に書かせてよい

・クラウド集合体は相場の1/10の値段でも仕事を受ける層から構成されている

・言語の壁問題を考えると、テンプレラノベを書くクラウド集合体は国内に存在しており、文章で小銭が欲しい

・クラウド集合体の文章力が、テンプレラノベを書けるくらいには上昇しているとも言える

「小説を書く」という行為が、一般的な作家(含むラノベ作家)が思っている以上に変質している気がするのですよ。

ライトノベルの勢いが増したときに、小説を書いて投稿するっていう行為がかなりコモディティ化したんだけれど、その後のなろうなんかの勢いを見ていると、更にコモディティ化している。あれだけの数「数万字という原稿を書ける人間」が存在しているってのは、これまでの文学の歴史の中でなかったことなんじゃないですかね。

それにともない、小説、あるいは小説の形をした文章を書く能力の特殊性も下がり、平均して価値も下がる。少なくとも有り難味は下がる。

ただ、それがプロの仕事に値するかというと、また少し別の話。

IT業界の話でたとえると、ラズパイってのはどう頑張ってもそれで製品作っちゃいけないレベルの品質なんだけど、でもそれで十分な世界(遊びとかプロトタイピングとか)はある。問題は、「ラズパイが5ドルなんだから、あんたのところの製品は10ドルくらいで作れるよな」とか言い出す人が出てくることで、そういう人は製品の良し悪しが実はよく分からなかったりする。

それと同じことが、今回の「クラウドソーシングでテンプレラノベを書いてもらう」というのと同じことでも言えるのではないかなとは思う。

実験としては面白いけれど、これでプロレベルの製品が作れると勘違いする人の出現が一番こわい、というか。

更に突っ込んで考えると、ラズパイもテンプレラノベも、ベースラインの教育による底上げの欠如という問題があるんだけれど、それはまた別の機会にでも。


2015-11-24 [Tue]

茨城県教育委員のこと

ああ、もう、ちゃんとリンクとか張って整理しようと思っていたけれど、完全にタイミングを逃した。

JDSのニュースサイトで経緯がまとめられているので、そっちを見てください。

http://www.jdsnews.jp/p/contentsview.php?content_id=0000002559

さて。

この発言をした長谷川委員ですが、画廊の経営をしている人で、フランスとの繋がりが強いようです。

フランスという国は、少子化対策に成功した国ではありますが、同時に障害児を生ませないようにしている国でもあります。子供を産んで育てることは支援するけれど、健常児を産むのが前提ということですな。

長谷川委員が、そういうフランスでの例を見て、行政側からの働きかけで障害児が生まれてくることを減らせないのか、それによって支援コストを抑えることができるのではないか、という発言をしたとしても不思議ではないし、それにはフランスという実例があるのでまるっきり根拠のない発言ではないとも言えます。

この件が問題になったのち、長谷川委員は発言の撤回をしていますが、その論調は「この発言を不快に思う人(自分から見たら他人だけど)もいることに配慮が足りなかった(間違っているとは思わないけどね)」括弧内は推測ね。というものです。要するに他人事の発言なのですな。

その後、長谷川委員の発言を擁護した知事も弁明をしていますが、問題は発言撤回とか謝罪とか辞任とかじゃないと思うんですよね。

公的な立場の人が、公的な場で発言をする以上、それには根拠がなければならないと思います。

その根拠は科学的研究成果かもしれないし、個人の経験かもしれないし、どこかの事例に基づいてのものかもしれない。

少なくとも今回、長谷川委員は「自分が何を考えて何を根拠にこのような発言をしたのか」について説明していません。

「傷ついちゃったんだー、ごめんねー」としか言っていません。

知性がありません。

発言の根拠、背景をきちんと言語で説明した上で、そのロジックを日本で適用することの是非を議論するべきです。

知事の発言についても同じ。単に委員の面子に配慮して言ったのか、何も考えずに言ったのか、背景にきちんとした説明をつけて、その是非を論じるべきです。

それが知性というものです。

障害児の問題は、現実的に、「かつては生まれてこれなかった、生きられなかった子供が、医学の発展と、社会福祉のおかげで、生きて生活できるようになった」という側面があります。当事者たちは、常に自問自答をしながら社会と向き合うことを余儀なくされています。

だからこそ、感情論ではなく、知性と理性で考え、意見を交換し、議論することが大切なのです。

だから長谷川委員は、とんずらする前に、ちゃんと語ろうねってことです。


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