告知など


2017-10-26 [Thu]

珠美さんのこと

カクヨムと小説家になろうで掲載している「勇者彼女がトイレから出てきません。」が、ひとくぎり(といっても、文庫換算で一冊分)つきました。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881787165

https://ncode.syosetu.com/n8381dt/

掘り返してみると、これの第一話を書いたのは実は2014年のことです。第一話と第二話は、それぞれ一週間もかけずにさくさくと書けた記憶があり、この文体は書きやすいなと思いました。

しかしそこからが進まなかったのですな。書けなくなった。書ける精神状態ではなくなった。

だけど、少しずつ時間を見つけて(というか書ける気分になった時に時間を作って)書き足していきました。これは書けるはずの作品だと思ったので。

いや実際、書ける時はそれなりのペースで書けたのです。でもそれが維持できない。以前はコンスタントにペースを維持できていたのに、それができない。

結局3年かかりました。

まあ、この間もSFPWにショートショート寄稿したり、永眠童話書いた時期ともかぶっているので、何も書けないというわけではなかったのですが、書くのが当たり前という状態からは逸脱してしまっていました。

3年かかって、ようやくひとくぎりのところまで書いて、肩の荷がおりました。別に義務でもないし締切もないんだけれど、todoリストの一番上に乗っていたものだったので。

異世界転移ものなのですが、一人称神視点というちょっと変な書きっぷりをしています。

さらりと読める軽い内容なので、よろしかったら読んでみてください。


2017-10-14 [Sat]

最近のブログ業界

ブログというか、個人サイト?的な?そんなの?って、最近どうなのよって話です。

昔はつらつらと思うことを書いたりしていたわけですな。

でも最近、そういうのはTwitterに書くよねえ。人によってはFacebookかもしれないけど。

だから、日常のツラツラを、ブログに書かなくなっちゃった。

育児日記書いてる人はいるよね。育児日記はTwitterだと書ききれないし、記録として残しておきたいからね。

でも日々いっぱいいっぱいなので、育児日記っつーのも書いてる余裕ないわけですわ。少し落ち着いたかと思った息子が最近落ち着きがないとか、書いていてもつらい。

ウォッチしているブログも、明かにアフェリエイトなんかのインセンティブが見えないブログは、ことごとく更新が落ちている気がします。特に作家さんのブログは更新が滞りがち。新刊案内とか(最近こちらではめっきり見ませんなあ)は、流れていくものなので、Twitterのほうが適しているのかもしれないしね。

ただ言い換えると、140文字以上のツラツラ思考をしなくなっているのではないのか?という危機感はあるわけです。

昔はもうちょい思索家だった気がするんだけど、俺、みたいな感じ。

同じ流れで、昔はもうちょっとみんな物を考えたり議論してたんじゃないの?どうなの?140文字でいいの?というのが、最近どうなのよって話。


2017-10-12 [Thu]

支援学校の体験入学

特別支援学校の小学部の体験入学に行ってきました。一年生のクラスに混ざって、朝の会と、二限目の体育をやりました。

一年生四人のクラスに混ざって朝の会をやったのですが、一年生の特性は色々で普通に喋っている子もいれば、おしゃべりは苦手な子もいて、そういう子も、ボタンを押すと声が出る機械を使って挨拶をしていました。息子は名前をよばれて、手を挙げて、名前の書いたふだをホワイトボードにくっつけるのはやっていた。

体育はとにかく走る。音楽を5曲くらいかけて、その間走る。息子は途中でばてていたけれど、それまではずっと走りつづけて、6週くらい校庭を走っていた。自分が小学生の時を思い出すに、一周するだけでも嫌だったので、こいつ元気だなあと思いました。元気だ。

気づいたこと。

・イヤーマフをしている子が結構多かったし、校舎の中に「ご自由にお使いください」みたいな感じでイヤーマフが置いてあった。聴覚過敏の子は多いんでしょうね。

・障碍の程度は様々。だけど、みんなのびのびとしていて楽しそうだったし、いわゆるできる子が、できない子のお世話をしている場面もよく見かけた。みんな、やさしい。

・多分、1限の時間が普通の小学校より短い。この点、普通の小学校の支援学級だと、1限の時間は普通級と同じなので、普通の子と同じリズムで授業を組まないといけないけれど、支援学校だと集中できない子に合わせて短く時間を切ってカリキュラムを組んでいるのではないかと思った。

・あの子供たちの中に混ざっている息子は、本当に普通に見えた。ここなら、のびのびとやっていけるんじゃないかと思った。普通に見えたと書くと、他の子供と比較してどうこうという意図に思われそうなのが心配ではあるが、比較する意図はあまりなく、この中に彼が混ざっていることに、違和感がなかったんですよね。ここなら楽しく学校生活がおくれるんじゃないかなあ。


2017-10-03 [Tue]

保育園の運動会

息子の保育園の運動会でした。最年長クラスなので、みんなに役割があたえられて(プラカードを持ったり)、クラスのみんなは誇らしげに役割とまっとうしていました。

さて息子はといえば、開会式と閉会式の挨拶係でした。喋れないのにどうすんじゃい?と思ったけれど、数人並んで声を合わせて挨拶をする係だったので、喋っている体でそれっぽい動きはしていた。まあこんなものというか、ひとりで何かさせるより集団のなかでやらせたほうが、まわりに合わせるから問題おきないなと思いました。

できたこと。

・リレーでちゃんと2週走れて、バトンも渡せた。

・ラジオ体操をそれっぽくやっていた。

・障害物競走で、縄跳び持って走ったり(飛んでなかったけど)、うんていをしたり(足ついていたけど)、ジャンプをしたり、鉄棒で前まわりをしたり(先生によっこらしょってサポートしてもらっていたけれど)、競技の一通りをこなしていた。

・玉入れをした。一個くらい入ったかも。

・親子ダンスができた。

・風船をおたまに載せる親子競技、まあまあできた。むしろ僕のほうが落としていた。

できなかったこと。

・エイサー踊りという見せ場があったんだけれど、直前にイヤイヤになってぐずってしまい、参加しなかった。ちょっとね、モードがそういうモードに入っちゃったのね。でもその後は気分を切り替えてリレーに参加できたのはよかった。エイサー踊りも練習ではちゃんと振り付け全部覚えていたと先生から聞いているので、気分なんでしょうな。

当日は僕の両親も見にきてくれたり、仲良しのお友達とお揃いのシャツを着たりと、充実した運動会だったのではないかと思います。


2017-08-20 [Sun]

「ことば」について

SF作家クラブのネットマガジンであるSF PrologueWaveにて、ショートショートを書かせていただいたのですが、これについて、補足というか本文からはみだした部分について少し。

タイトルは「消えてしまったメッセージ」です。

http://prologuewave.com/archives/6269

さて、オマージュの元ネタは、みんな大好きテッド・チャンの「あなたの人生の物語」。「メッセージ」という題名で映画化されました。

「あなたの人生の物語」は、宇宙からやってきた謎の物体から言語らしきものを教わるという内容で、そのあたりを僕の作品でもネタにしています。元ネタが扱う言語と僕の作品が扱う言語では、その役割がだいぶ違います。

僕の作品での「言語=ことば」というのは、おそらくよりプリミティブで原始的な「ことば」、それこそ言語が生まれたばかりの頃の役割とか目的に基づいた「ことば」なのだろうと考えています。

ことばというのは、実に不思議です。

息子はまだ、いくつかの単語とまれに二語文しか発語が出ていません。しかし、本人は自己主張や他人とコミュニケーションをとりたいという気持ちが強くあります。また、家の中や慣れている人との間では、ジェスチャーやサインなどを併用して、一定の意思疎通ができています。

正直、世界が自分たち三人だけなら、それはそれで成立するのに、とすら思います。

しかし世界は三人ではありません。なにより、息子は人間の中で生きてかないといけなくて、同時に彼はそれを望む種類の人間のように見えます。

だからやはり、彼は「ことば」を学ぶ必要があり、僕等はそれを教える必要があるのだろうと考えます。

時間はかかるだろうと思いますが。

この作品は、ことばをモチーフにしたSF小説であると同時に、今現実に僕等が直面している問題意識を切り取ったテキストでもあるのです。


2017-08-02 [Wed]

断捨離という言葉が好きではないのだが

色々身の回りを軽くしたいので、捨てたり売ったりしている。

持っているだけで演奏していなかった楽器も次々と売り払っている。楽器に申し訳ないなと思いながら、クリーニングをして売りに出す。次の持ち主はちゃんと弾いてくれる人でありますように。

コンピュータ系はしょうがないのでヤフオクですな。売れるものだけ切り出して。

売るのが面倒くさいものは捨てる。しょうがないので捨てる。

何かしら価値があるだろうとは思いつつも、体を軽くしたいから捨てる。

捨てるのだ。


2017-07-05 [Wed]

社会性の構築

エレベータに乗りながら考えた。

前の人の残り香らしきタバコの匂いがする。単純に気持ち悪い。しかし、それに気づき記述してみるというのは、ひとつの観察である。

思うに、僕の社会とのインタフェースは、ひたすら観察を積み上げることで作り上げているのではないか。

そうだとすると、観察する余裕、観察を積み上げて演繹する余裕がなくなると、社会とのインタフェース構築も破綻するのではないか。

そしていま、破綻しかけているのではないか。少なくとも新たな観察結果を消化する余裕は持てていないのではないか。

とはいえ、破綻して困るかというと日常生活は現状維持をすればいいだけなので、別に困らない。

ただ、社会の観察が広がらないのは、どうなのか、とは思う。

「世の中というモノ」にたいする物の見方というのが固定化してしまうのは、よろしくないと思う。とくに、そうなりやすい年齢に既に差し掛かっているわけで。

年をとると体力が下がることもあり、どんどん楽をするようになり、どこかで考えることをやめてしまう危険性がある。その時のことを想像すると、ものすごい恐怖に襲われる。

僕は簡単に感情を停止させることができる。その上考えることまで停止してしまったら、どうすればよいのだろう。

ああ、中二病っぽい。いや、中二病っぽさが残っているうちは、まだ大丈夫な気もする。

中二病と言えば。

Kindleでお試しセールをやっていて、きまぐれ☆オレンジロードの1巻と2巻が無料で読めたので読んでみた。驚いたのが、あいつら中学生っていう設定なのな。中学生って考えると、ものすごく大人びた設定だったんだなと思う。昭和の中学生、すげーな。

70年代80年代前半くらいの頃、ロボットアニメの主人公=パイロットは高校生くらいの年代だった。ガンダムでアムロが16歳という当時としては幼い設定だったんだけれど、それ以降、おおよそ高校生以上だった。一気に低年齢化したのは、銀河漂流バイファムだと記憶している。主人公ロディ・シャッフルは13歳だったか14歳だったか。当時自分は11歳か12歳で、ロボットアニメのパイロットの年齢に手が届くようなったと感じた。

実はこの時期は3年B組金八先生の時代でもあり、中学校が荒れていた時代でもあった。

それもあって、世間は中学生は小さな大人という扱いをしていたようにも思う。

話が脱線したが、じゃあ中学生がいつからただのガキに戻ったのかというと、やっぱりエヴァンゲリオンなのかなあ。


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