告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2003-10-04 [Sat] 祖母
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昨夜、祖母が亡くなった。
かなり長い間入院していたのだが、腰が悪くて自力で移動しづらい以外は、頭も
口も元気だった、らしい。らしいというのは、僕は結局一回しかお見舞いに行か
なかったから。でも、まあ僕なんていう人間は、そんなものかなとも思う。
▼ で、祖母は入院している間も元気ではあったので、外部とのコミュニケーションが
取れたらもっと快適だったんじゃないかなあと思うわけで、そこでパソコンと
インターネットですよ、とかいう話になる。自分が実際に入院した経験から、病院
というのは閉鎖空間であり、入院患者に外部と接触する方法を与えることは重要な
ことなので、全病室にインターネット接続性を確保するべきだという話は、僕は
もう十年近くしてきている。祖母についても、もし彼女が病室のベッドにいながら
孫たちと電子メールのやりとりが出来たら、もっと幸せだったのではないかと
(そんなこと言うくらいならもっと見舞いに行くべきだとということは承知しつつも)
思う。
▼ しかし同時に、「便利だからパソコン使いなさい。インターネット使いなさい」
という押しつけというのは、一種のエゴイスティックな暴力であるとも思う。
これは二つの側面から語れるだろう。一つは、老人であってもモチベーションが
ある人達にとってさえも、現在のパソコンは使いにくいということ。もう一つは、
仮に便利であっても無理矢理に使わせるには今のパソコンという存在はあまりに
暴力的すぎるということ。いずれも帰結されるのは、「現在のパソコンは未完成」
ということだ。
▼ パソコンというのはどうあるべきなのかを、僕はこの十数年間常に考えてきた。
元もとのパソコンというのは実験用試作機がなぜか製品になってしまったものだと
僕は考えている。本来、今の形のパソコンが一般人の手に渡ってはいけないのだ。
多くの人が必要としているのは、単機能のいわゆるアプライアンス機である。
電子メールとWWWが使えれば、大抵の人は十分だ。ワープロや表計算をしたかったら、
ビジネスアプライアンスを用意すれば良い。何でも出来るパソコンである必要は
ない。
▼ なんてことを考えつつも、自分一人では何ができるわけでもないし、だけどもしか
したら出来る可能性があるかもしれないと思いつつも、そこで頑張る気力もない。
技術者だとか偉そうなことを言ってはいても、結局大したことはできないし、
やる気もない。そしてそれは、多少ならずの罪悪感に結び付いて心の中にしこりを
作っている。
▼ だから僕は、少しだけ申し訳ない気持ちで、祖母を見送ろうと思う。