告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2003-09-27 [Sat] SEED最終回
▼ 夕方、吉報がはいる。あまり詳しくはまだ書けないけれど、D論審査に非常にプラス
になる吉報である。各方面に報告する。
▼ 非常に嬉しい。
▼ とにかくSEEDは脚本のバランスが悪すぎで、これはどうやら「シリーズ構成」と
いう仕事の人の問題らしいのだが、それが誰かというと両澤千晶。
▼ フレイについては、前半がとても分かりやすかったのに、後半の役回りがいまいち
ぱっとせず、キラがフレイに対してどういう気持ちを持っていたのかが、最終回
近くになって唐突に書かれた上、しかも戦闘中はほとんど忘れられているし。
かと思ったら、いきなりララァになっているし。フレイはこういう精神的キャラ
じゃなくて、あくまで最後まで即物的な役回りに徹しているべきだったと思います。
保守的思考から逃れることが出来ず、でもキラに対する自分の気持ちというのが
あって、その間の葛藤に悩むのが後半に表現されていたらもっと生々しいキャラに
なったのではないかと思うと、残念です。
▼ 全体としてみた場合、二大勢力とそれに割って入る第三勢力という構図が、どうも
一昔前の印象を受けます。とくに、パワーバランスを保っているのが「核」という
のも一昔前のセンスじゃないかなあ。実際の現代社会は、冷戦終結以降どんどん
複雑になってきていて、核エネルギーに対する姿勢も今の時代に書くのならもっと
複雑なものにならざるを得ないと思うのに、単に強大な力の象徴としか利用して
いない。作り手側の認識が不足しているとしか思えません。
遺伝子改造されたコーディネータというモチーフも、結局活かしきれていない。
近未来に登場しうる技術をモチーフにして、どのような社会的影響があるかという
SF的考察は、本物のSFではいくらでも深く行なわれていて、SEEDではその部分の
掘り下げも甘い。
もしかしたら、作り手側は色々言いたいこと考えていたのかもしれませんが、それが
シナリオに現れて来ておらず、このバランスの悪さはやはりシリーズ構成の責任
かと思います。
▼ 細かなところでは、個人的には、アスランには親父が死にそうなところに冷たい
眼つきでトドメを刺すくらいのことして欲しかった。奴には覚悟が足りない。
▼ 歴代のガンダムのパクリ云々の話題は面倒なので割愛。
▼ 最後に一言。
▼ 宇宙クジラはどうなった。
それよりも、最終回と言えばドッコイダーですよ。
ベタだけれど良い。
ただ少し無理に詰め込んだ感じはあるので、最終回だけ1時間スペシャルにして
もらえると嬉しかったかなと思う。スタッフが死ぬだろうけれど。