告知など


2006-06-10 [Sat] やる気が出ない

色々雑用をする。

うむ。やっぱり胃がいまいちというか、食欲はあるのだが、食事をするとなんか

胃がもたれる感じがして(胃が痛いというほどひどくはない)、なんか憂鬱になる。

簡単に言えば、食事が楽しくならないのが、つらい。

だから色々やる気もでない。


VISAの冊子に載っていた麻生圭子のエッセイからの受け売りなのだが、京都で

客先にお邪魔したところ相手がうちわであおいでくれたのだそうだ。人の家に

行って自分でうちわであおぐってのは、暑いと主張しているようなもので不粋

なのだと。もてなしの一つとして、来訪した人をあおいで差し上げる、という

スタンス。なるほどね、と思った。

粋ですね。

ゆっくりとした風とゆっくりとした時間というのが、目に浮かんでくる。

こういう話を聞くと、日本って良い国だと改めて思う。


エッセイについて。

エッセイを書きたがる素人は多いようだ。カルチャーセンターなんかでも、エッセイの

書き方講座的なものをやっていたりする。

以前、ボイルドエッグズの村上氏にインタビューしたなかで、エッセイというのは

著名人が書くのでもなければ商品にならない、なぜなら誰も興味もたないから、

というのがあった。

その通りだと思う。どこの誰か知らない人が書いた自分語りは読んでいてつまらん。

が、たまたま手にとった雑誌なんかでちょっとしたエッセイを読んだりして、それが

自分の感覚ととても気持ちよく共鳴することというのもある。

今の世の中、blogなどの形でエッセイ的なものを書いて人に見せるのはとても簡単に

なっている。それらに商品価値があるかといえば、おそらく99%はないと思う。

エッセイという単語はフランス語の動詞である"essayer"からきているらしい。元もと

は「試す」という意味で、何かを理解するために書き下してみるためのものだった。

おそらくエッセイの本質は現代でも変わっていないと思う。

エッセイを書きたがる人というのは、何か自分の中にあるもやもやしたものを、書き

出して改めてきちんと理解したがっているのではなかろうか。blogもまた然り。

そう考えると、商品価値云々というところは本質的にはどうでも良い話で、しかも

商品価値について議論なんかせずに世に出せるインターネットというインフラが

存在しているのだから、人々は気にせずどんどんエッセイを書けば良いのだと思う。

ただ、それは自分のためのエッセイであって、誰かに読ませようとか、読んで意見を

もらおうとか、ほめてもらおうとか、アフェリエイトで稼ごうとかは期待しないほうが

良い。

実際、そういうことを期待するから世の多くのblogが三日坊主で終ってしまうのだ。

というわけで、ここの日記もそんな感じで、あくまで自分のために書くという路線で。


HTMLのポケットリファレンスが欲しかったので、「HTMLタグ+スタイルシート辞典ちび」

というのを買ってみたのだが、タグがアルファベット順に並んでいても、さっぱり

求める情報にアクセスできないな。うむ。


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