告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2003-05-02 [Fri] おもむろに論文中
▼
朝は7時から起きて仕事。なんとなく目が覚めたから。
最初は力仕事っぽいことをがりがりやる。ps2pdfで一部のPSファイルが崩れるという
症状をなんとかしてくれと言われていたのだけれど、原因が分かったので対処方法を
整理して報告する。
▼ あとは連休開けに〆切の論文をどうしたものかと頭を悩ませる。何をどう書いても
落されるような気がして、いまいち気が乗らない。
▼ で、引続き夜まで論文の構想練ったり断片をメモしたり。本格的に組み立てるのは
明日からかな。
2003-05-03 [Sat] 愛国心というもの
▼
asahi.comの記事で「通知表に愛国心という項目を設けている公立小学校が全国で
172校もある」というものがあった。朝日新聞というくらいで、文章のテイストは
「こんなことがあって良いのか」というもので、例えば本文中では「教育現場や
保護者から戸惑いや反発もでている」となっている箇所が、見出し文では「教育
現場や保護者から反発も出ている」とだけ書いてあったりする。こういう細かな
情報操作があざといな、マスコミめ。
▼ ちなみに、asahi.comに書かれている文章の範囲では、「教育現場や保護者から出て
いる戸惑いや反発」の具体的な例については、全く触れられていない。
▼ さて。どういうことかというと、
▼ 昨年度から始まった新学習指導要領では、小6社会科の目標の一つに「国を
愛する心情を育てるようにする」の言葉が加わった。 (asahi.comより引用)
▼ のを受けて、
▼ これらの学校では、日本の歴史や政治などへの「関心・意欲・態度」をみる
小6社会科の評価項目の文中に、国や日本を愛する心情を「持つ」「持とうと
する」といった言葉を挿入。「十分満足できる」「おおむね満足できる」「努
力を要する」の3段階などで評価していた。 (asahi.comより引用)
▼ <佐藤学・東京大学大学院教授(学校教育学)の話> 地域の広がりや採用
校の多さに驚いている。愛国心や道徳心といった個人の内面を国家がコントロー
ルする「心の管理社会」がまさに教育現場から始まりつつある。上からの強制
ではなく、評価で子どもの心を操作していくのが巧妙な点だ。今後は教育基本
法の改正で愛国心に法的根拠が与えられ、さらに統制が進む危険性がある。思
想信条の自由や民主主義を根底から覆す問題なのに、多くの教師や市民が無感
覚に受け流している。そんな時代のムードが恐ろしい。(asahi.comより引用)
▼ 最後の一文はその通りで、すべての国民が真剣に考えるべき問題だと思う。
だが、全体として考えてみた場合、どうだろう。「愛国心や道徳心といった個人の
内面」を国家や国家が運営する教育機関でコントロールしないとしたら、いったい
どうやってコントロールするのだろう。誰が道徳心を子供達に教えるのだろう。
「愛国心」という言葉が「戦前を連想させる」と言うが、この表現も不用意で、
(太平洋戦争)戦前と戦中とでは愛国心の意味するところに若干の違いがある。先の
見えない戦争を続けるための方便としての戦中の愛国心と、それ以前の日本を
なんとか持ち上げようとする(あえて国体という言葉は使わないが)愛国心とでは
異なると私は考えている。
▼ もちろん、自由社会なので人々が多様な価値観を持ち、それを互いに認めあう
ことは当然必要である。しかし国という枠であり共同体であるものの中で生活する
ためには、その中での共有できる認識もある程度は必要である。例えば、アメリカ
というのは多様な人種、多様な信条、多様な文化が混沌とし、マイノリティであって
もそれなりに生きていける社会であると同時に、根底には「俺たちアメリカ人。
アメリカ一番。アメリカ偉い。アメリカ正義」という共通の意識があって、それは
国家を挙げてそういう啓蒙をしていて、だからこそ国として成立しているのだと
言える。
▼ 日本の場合は、なんとなく島国って枠があって、なんとなく常識ってのがあって、
なんとなく国家が出来上がっているような気分になっているような気がするのだが、
外部の世界との情報や文化の流通が激しい現代社会では、そんな暢気なことは言って
いられない。日本とは何で日本人とは何で、自分達はどう生きるべきかを一人一人が
考えなければならない。
「これまでなんとなくやってきたんだから、それで良いじゃん」というのも一つの
考え方だが、「なんとなく」を実践するためには再び鎖国するしかない。
▼ 「思想信条の自由や民主主義」を表面的になぞるあまり、無思想、無信条、無価値観
になってはいないだろうか。多くの若者が、自らのアイデンティティを定められず、
何歳になっても自分探しを続け、国としての体力が落ちる一方なのが日本の現状なの
ではないだろうか。
▼ これを打破するためにも、人々のアイデンティティの拠り所としての愛国心は存在して
然るべきであると思うし、自分が今存在している社会の価値を教えるのが初等教育に
おける社会科教育の役割なのかもしれないとも思える。
▼ 補足:
この記事が取り上げている事柄の本質的な問題は何かというと、「個人の信条に対して
成績表の中で点数を付けている」ということである。Aという信条を持っている人は
5点で、持っていない人は1点、みたいな。
▼ その視点で見れば、「県弁護士会が今年2月、『思想・良心の自由を定めた憲法19条
違反の恐れがある』として」いることや、先の佐藤氏の「評価で子どもの心を操作して
いくのが巧妙な点だ」という指摘もうなずける。
▼ ただ、それよりも巧妙なのは、この記事を流し読みすると「戦前を彷彿とさせる愛国心
を小学校で植え付けようという教育がなされていて、その背後には文科省による指導
要綱の改定と、その先の教育基本法の改定があり、国家が思想統制を企んでいる」と
感じとれてしまうことだと思う。そのバイアスのかけかたには新聞社の思想が大きく
含まれていることに、注意しなければならない。
2003-05-04 [Sun] 種
▼ そんな訳で一日家でうんうん言っていたので、ネタがないので昨日のSEEDの話でも。
▼ 今ミリアリアを慰められるのは俺しかいないわけで、いいからお前らその道あけろと。
ミリィとディアッカがくっつくとかいう噂も流れているけれど、できればミリィには
そのまま一人でいて欲しいなと思うわけです。しかしその反面、キラについては
ラクスと再会したらばーんと迫っちゃいなとか思うわけで、ここらへんに男の身勝手
さを感じるな。寒い時代だとは思わんか。
2003-05-05 [Mon] 蒸す
▼ あ、あとガンダムSEEDの冗談抜きの話なんですけれど。先週の戦闘シーンが止め絵を
一切使わず、バンクも二回以上は使わずにぐるんぐるん動いてくれたら、とっても
すばらしい回になったんじゃないかと思うんですけどね。
ていうか、SEEDってプラモデルも売れているはずだし、他のアニメと比べると予算
あるんじゃないかと思うのだけれど、総集編や回想シーンを繰り返したりしていて、
なんというか日本のアニメ業界って……。
やっぱコナンとか犬夜叉クラスにならないとダメなのでしょうか。
2003-05-07 [Wed] 梁山泊
▼
10年ぶりに突然梁山泊のあんかけチャーハンが食べたくなり、そもそも場所はどこ
だっけと調べたところ、区を一つ縦断したところにあった。でも自転車で行けない
距離ではない。電車で行くと1時間かかるし。というわけで、自転車で行ってみる
ことに。途中で図書館に寄ったのでその時間を差し引くと、50分くらいかかった。
店の前で大学時代の先輩と合流し、あんかけチャーハンとギョウザとピータンを
食べる。あんかけチャーハンは記憶にある通りうまかった。
その後先輩とファミレスでお茶を飲みつつ、色々話をする。
そこから更に50分自転車で走り、家についたのが11時ころ。
2003-05-08 [Thu] こまごま
▼
細々と諸連絡とか仕事とか。
FreeBSD用パッケージ集の最新版をリリース。
UNIX上でFlashを作る必要が出てくる可能性が非常に高いので、Mingのドキュメントを
読んだり、ぐるぐるして説明しているサイトを漁ったり。
2003-05-09 [Fri] こまごま
▼
実家にいる夢を見た。目が醒めたとき、自分がどこにいるのか分からなかった。
▼ 仕事関係の打ち合せ。
久しぶりに人と会って仕事の話をしたのだが、こうも疲れるとは。
▼ ……帰宅してしばらくしてどうして疲れたのか考えてみると、2chなんぞに出入りして
いると、頭を使わずに(いや使っているけれど、リアルタイムではないし、基本立場を
中庸で通せるし)脊髄反射でコミュニケーションしているから、それに慣れると頭を
フル回転しつつ会話するのが大変ということなのでございましょう。
▼ 近所のラーメン屋に行ってきた。それなりに有名店らしい。
ちょっと生臭い感じがして、関東人にはとっつきにくいかもしれないと思った。
ものすごく旨かったかというと、一発ではまるというほどではなかったが、もしかする
と癖になるかもしれない。
おばちゃんがサービスでにんにくを入れてくれたら、これが結構効く。まだ口の中が
にんにく臭い。
2003-05-11 [Sun] そろそろマシン替えかね
▼ ところでMozilla1.2を使いはじめてからというもの、Xft対応はいいのだけれど、
すべての動作が遅い。メモリも食いまくる。こんなのみんな本当に喜んで使って
いるのだろうか。信じられない。
メモリはSwapしていない状態でも遅いので、もはや救いようがない。CPUはC3 700MHz
なので遅いのか仕方がないけれど、それにしても。
メモリだらっと舐めたりとか、アドレス変換テーブルの読み込みまくりとか、そんなん
でこれだけの時間をとられているとしたら、恐ろしいことだと思う。
CPUはC3の1.3GHzが出たら買い替えようかと思っているので、それまでの辛抱かなと。
本当はそろそろ全マシンを入れ換える時期なのかもしれないけれど。なにせ、
VIA C3 700MHz, MMX Pentium 200MHz, AMD K6-III 400MHzという三台で仕事している
ので。
2003-05-12 [Mon] 妖精さん
▼
どうにも「生きててすいません」気分が消えませんな。
Mingを使ったFlashの作成の練習。結局ActionScriptを勉強しないといけないらしい。
で勉強しようと思ったら、Mingと普通のFlashで用語が微妙に違うような。
▼ 「あーあ、晩ごはんのお弁当が惣菜のサラダ込で700円だよ」
▼ 「なんてことっ?!」
▼ 「え?」
▼ 「一日の食費は1000円までって言ったでしょ! それを700円のお弁当を買うだなんて」
▼ 「いや、でも朝食と昼食合わせても300円いっていないから」
▼ 「そんな言い訳やめなさい。だらだら過ごしているんだから倹約しないと」
▼ 「でも……今日は新しいライブラリの使いかた勉強したりしてちょっとは仕事したし」
▼ 「そんなこと言っても、30分くらいちょこちょこやってはベッドにもぐりこんで
本を読んで、そんなことの繰り返しじゃない」
▼ 「やらないよりはましだろ?」
▼ 「そうだけどさあ。700円の晩ごはんくらい良いじゃないかよ」
▼ 「だめだめ、あなたには700円の晩ごはんを食べる資格さえないわっ!」
▼ 「くっそー、見てろ、この悔しさをバネにしてやる。いつか見返してやる。
いつかきっと、きっと、
▼ 宝 く じ を あ て て 金 持 ち に な っ て や る 」
▼ 「地道に働けよ」
▼ 以上、脳内妖精との会話。
2003-05-13 [Tue] Flashとかミールとか
▼
まあ世の中には一日の食費が300円で乗り切るぜとか言っている人もいるようなので、
食費1000円で乗り切るぜとかは甘ちゃんなのでしょうが、自炊しているわけでもない
ので、弁当類で一日1000円はそんなものではないのかと。
▼ 引続きFlashとActionScriptの勉強。
ActionScriptの参考にしているページが、「Flashは分かるけれどプログラミングは
分からない人向け」なので、どうにもまどろっこしい。
▼ 更にオブジェクト指向用語と異なる言葉の使いかたとか、他の言語との真っ当な比較
がなかったりしているので、更に分かりづらい。あーもう。
むむ、ActionScriptって要するにプロトタイプベースのOO言語なのか。
だったら最初からそう書けと言いたいところだが、でもクラスがどうのとか言っている
からやっぱり違うのかしら。
▼ なんだかよく分からなくなってきたので、JDKのコンパイルを始める。
1時間ほどで終わる。
▼ 宇宙開発に関する本を読んでいて、ミールでの宇宙滞在時間が678日とか言っている
のだが、考えてみると、ああいう閉鎖空間で長期間生活することに耐えられる人間と
いうことで、引きこもりの神経構造を解析してみるってのはどうですかね。
いっそ、引きこもりを宇宙に連れて行くとか。俺なら6畳の部屋から一歩も出ずに
二年くらい平気で暮らせると思うのだが。ただしIP reachabilityはありの方向で。
2003-05-14 [Wed] 内向きスパイラル
▼
僕はただ、今度こそシンプルで分かりやすくて皆と同じな幸せを手に入れたいと
思っただけなのに。それにも関わらず、特別扱いしてもらうことで生き長らえている。
まったくもって、生きていてすいません、だ。
自分にそんな価値があるとは思えないのだが。いや違う。特別扱いしてもらうことに
応えるためには、自分の価値を自分で作らなければならない。
でもそれは、最初望んだシンプルで分かりやすくて皆と同じな幸せとは矛盾する。
しかし現実問題として、皆と同じことに価値はなく、それで飯が食えるはずもない。
自分の価値を創出し、それをもって恩を返さなければならない。
それはとても苦しいこと。
▼ ……。
▼ 止まっていても仕方がないので、まず本を買いに行こうと思い、友人から紹介された
Flashの本を買いにいく。ついでにX-MEN2も見てきた。
▼ 沢山借りを作ってその代わりきちんと返しますという生き方もあるだろうし、借りも
貸しもなく起伏なく地味にいきますという生き方もあるだろう。僕は後者の方でいいや
という気分なのだが、現実的に借りばかりが溜っていく以上、それを返すためには
することをしないといけない。
頭の中身を入れ換えろ。
2003-05-17 [Sat] もやもや
▼
なんとかするべく足掻いていたですよ。
▼ 論文の構成見直しと修正、FLASHプログラミングの勉強(そしてFLASHとActionScripntの
設計がかなり汚いことを理解)、病院いったり本読んだり論文調べたり。
▼ しんどいね。
▼ あたまモヤモヤが取れないし。水曜日に気持ちを入れ換えた次の日くらいまでは元気
あったのだけれど、やっぱり今はモヤモヤがまとわりついている。
2003-05-18 [Sun] 人として
▼ いや、何でこの話題かというと、もともとは、「どうして日本人は社畜になるのか」
という考察から始まったのですが。
▼ 大きな会社に入るとですね、入社してすぐに「我が社の社員としての心構え」とかを
叩き込まれるわけです。それは当然ですね。会社としては会社のために頑張ってもら
わないと困るので。当然です。
ところが、人間にはそれぞれ一人の人間としてのアイデンティティというものもある
わけです。そこのバランスを取るのは各自の責任なのですが、それが取れないと会社
のためという心構えに支配されて社畜になる。これをもってして「君達は就職したら
社会人になるのではなく会社人になるのだ(by うちの指導教官)」となるわけです。
▼ で、なぜバランスが取れないのだろうと考えてみるわけです。これだけ社会的にも
「余裕のある生活をしよう」「余暇を楽しもう」という風潮が認められてきて、仕事
ばかりすることが必ずしも美徳ではないという認識になっているのに。
▼ それが、最初に叩き込まれる「社員としての心構え」なのではないかと思うのです。
ほとんどの若者は、「〜としての心構え」っていう類のものをそれ以前に叩き込まれ
ていないと思うのですね。「○○大学の学生としての心構え」とか、そういう奴。
いわゆる一流大学の学生は、それなりに自分の大学にたいするプライドは持っている
と思うのですが、アンチ学歴的風潮からそういう考えはあまり肯定されない可能性が
あります。実際一歩間違えると実力ないくせに間違ったエリート意識ばかり持っている
DQNが出来上がるし。だから大学のほうもあまり強い教育はしません。せいぜいが、
「東工大生ってのは、考えるより先にまず実験/実装してみるものだ」くらいのもの。
▼ その前の高校、中学、小学校でもこういう教育をしません。
実は私が通っていた中学では、「栄光ある○○中学の生徒として」云々ということを
言っている先生が結構いましたが、義務教育で学区単位で集められた中学に対して
そういう誇りを持てるはずもなく、それに今思い返しても中学時代の教師はバカばっか
りだったこともあり、私は鼻であしらっていましたが。
▼ そうじゃなくてですね、義務教育の段階だったら、「日本国民としての心構え」っての
を教えないといけないのではないのかと。それが日本で生きていく上での「社会人と
しての心構え」なわけで。ここに至って、毎度のことですいませんが、日本の戦後史観
の話になるのですが、「日本国民として」という問題を考えることを、戦後ずっと回避
してきた結果が社畜の大量生産に繋がっているのではないかと。
▼ もちろん、「日本国民として」問題が難しいのは分かっています。じゃあ、日本国民
って何なの? 在日中国人、在日朝鮮半島人をふくめた在日外国人は? アイヌ民族は?
沖縄の人達の感情は? などなど、考えなければいけない問題はありますが、でも回避
するのは良くないのでは。少なくとも55年間も目をそむけ続けて良い問題ではない。
▼ などと。「人として自分はどう生きるか」を考えると、その過程で「日本人として
自分はどう生きるか」を考える必要はやはり出てくるよなあと思う、今日この頃なの
だったりします。そんなのが最近の俺テーマ。
2003-05-19 [Mon] アイデンティティって奴
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何度かアイデンティティがどうのと繰り返しているので、お前はその年齢になって
そんなことを悩んでいるのかと言われそうだけれど、僕自身は実は別に悩んではい
ない。自分自身は一介の技術者であり(技術者と研究者の中間の立場でどう立つかと
いう微妙な問題はあるのだが)、それが全てである。むしろ、この一点があったから、
壊れそうになった時期でもなんとか踏みとどまれたのではないかと思っている。
▼ 手に技術を持つと色々便利やね。
▼ スタンプカードを使ったところ、豚カツ弁当が260円で購入できた。ありがたや。
2003-05-21 [Wed] 心構えとか
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先日「社員としての心構え」が云々と書いたのは、ようするに自分がそういう研修を
受けるからでして、通常の人よりも一足遅く、社長研修を受けてまいりました。
丸一日社長と一対一で話しをするという、それはそれは刺激的な研修でした。
内容は社訓(というかスローガンというか)を順番に読みながら、その意図するところ
目指すところを深く掘り下げるというもので、哲学心理学の幅広いネタを交えての
話しでした。私としてもこれまでの人生経験で得た知見思索を動員して、色々語り
ました。というかこれまで技術者としての生き方哲学的なものを語る機会があまり
なかったので、とても良い刺激になりました。
2003-05-22 [Thu] 会社人と社会人
▼
今日も引続き色々話しをする。
これまで僕は「社会人」という言葉と「会社人」という言葉を意図的に区別して
使ってきた。別に「俺は社畜にならんぞ」という気負いではなく、価値観が会社組織
の内側だけに限定されてしまうことが嫌だったからだ。学生だって専業主婦だって
社会の一員として役にたっているし、社会人という自覚を持つべきじゃないか、という
理由もある。
で、今日の話しの中で、「会社組織に所属することにより、より多く社会に対して
還元できる」という説明を受けて、なるほどと思った。それは、どこかの経済学の
受け売りではなく、(元もと技術者だった)社長自身が色々考えて悩んだ末の説明と
いうことがとても良く分かったので、とても良く納得できた。
「社会人」「会社人」という言葉の使い分けを変えるつもりはないけれど、そこの区別
については少し自分のなかで考え直した方が良いかと思った。
2003-05-25 [Sun] ファイズ
▼ ファイズも、次々と展開するシナリオを一年かけて続けるってのはすごいと思うんだな。
これで、毎回変身&戦闘シーンがなければいけないという制約を取り払ったら、もっと
無理ない話になると思うんだけどね。今だと、いきなりとんでもないところで
とんでもない人が居合わせたりして、不自然なところが多すぎる。
あ、でも脚本書く側からすると、制約があったほうがむしろ書きやすいかもしれない。
▼ 本読んだり色々雑用したり。したらばの短編小説を作るスレに少し参加してみたり。
2003-05-27 [Tue] しごとしごと
▼
はい。仕事ですよ。仕事してますよ。家に引きこもって仕事じゃないですよ。仕事場
に出勤して仕事してますよ。と言っても、行っているのは慣れ親しんだ研究所なんだ
けれど。いわゆる出向って奴です。
とりあえず場所もらって、今日は一日PCのセットアップやってました。だいたい終了。
本格的な作業は明日からですな。
2003-05-28 [Wed] 忘れ物
▼ これってやっぱり、まだリズムが掴めていないんだろうなあ、と思う。
以前働いていた場所まで家から一時間で、今の家から研究所までの一時間なんだ
けれど、どうも後者の方が長く感じる。乗り換え回数が多いとか、バスに乗らないと
いけないとか、理由は思い付くのだけれど。
▼ そして考えてみると、研究所に行ってやる仕事以外にするべき仕事がいっぱいあって、
ついついそちらが疎かになっているような気がしないでもない。
冷静に仕事量を整理してみると、ちと厳しい気がするな。
でも帰宅すると、かったりーから寝ようって感じなんだよな。
2003-05-29 [Thu] 500円どこ?
▼
昼飯にらんぷ亭で420円の飯を食った。千円でおつりをもらった。そのあと買い物して、
支払いの時に財布を見たら、500円玉がなかった。そもそも小銭が300円分くらいしか
なかった。あれ? 千円出して580円のおつりをもらったはずなんだが。
▼ ちょっと資料集めの必要があって、「いじめ」をキーワードで検索してみたりして
いるのだが、なんというか教育関係の地道な活動をしているサイトがそれなりにあり、
努力は認めるのだが、共通して言えるのがデザインがダサいこと。なんだろう。
2003-05-30 [Fri] 得るものと失うもの
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色々と頭が痛いのだが。
▼ ええと、「何かを極めるためには、他の何かを捨てなければならない」ということに
ついて。
▼ 人の生き方には色々あるので、捨てるという選択もどこかでしなければならない訳で
す。すべてを手に入れることはできないし、広く浅く生きても何も残せないし。
僕自身はこれについては明確な答えが出せず、ただ自分が出来ることを日々こなして
生きています。知人の言葉とかを引用しつつ、このテーマで語ろうかなとも思ったの
ですが、頭が疲れてきたのでやめます。
▼ 何故この話を持ち出したかというと、さっきまで「職員室の心の病」という本を読んで
いて、要するに先生っていうのは神経症や精神疾患が実は多いという話なんだけど。
考えてみると当り前ですね。先生っていう仕事は、仕事をしているその現場では一人で
仕事をしているわけです。しかも多人数を相手に、仕事は一人。同僚はいるかもしれな
いけれど、現場を共にしているわけではない。そりゃ色々おかしくなります。
▼ だけど教師という職業を選んでそれに従事している間は、その仕事を全うしなければ
ならない。それこそ、教師という仕事を極めなければならないわけです。非常に大変
な仕事だと思います。僕には真似できません。
▼ で、ここで考えたのが、「教師という重要な仕事を極めるには、他の色々なものを捨て
なければならないのではないか」ということでした。例えば捨てなければならないこと
として「生徒の母親と不倫する」「酒を飲んで裸で歩き回る」とかがあります。これら
はまあ聖人君子としては普通捨てている行為ですが。
▼ ですが、突き詰めると、「教師という職についたものは、結婚して家族を持ってはなら
ない」ということが言えやしないかという気もしてきます。何十人もの生徒を育てる
仕事なのだから、自分の家族にエネルギーを費している場合ではないということです。
本当だろうか。