告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2003-05-18 [Sun] 人として
▼ いや、何でこの話題かというと、もともとは、「どうして日本人は社畜になるのか」
という考察から始まったのですが。
▼ 大きな会社に入るとですね、入社してすぐに「我が社の社員としての心構え」とかを
叩き込まれるわけです。それは当然ですね。会社としては会社のために頑張ってもら
わないと困るので。当然です。
ところが、人間にはそれぞれ一人の人間としてのアイデンティティというものもある
わけです。そこのバランスを取るのは各自の責任なのですが、それが取れないと会社
のためという心構えに支配されて社畜になる。これをもってして「君達は就職したら
社会人になるのではなく会社人になるのだ(by うちの指導教官)」となるわけです。
▼ で、なぜバランスが取れないのだろうと考えてみるわけです。これだけ社会的にも
「余裕のある生活をしよう」「余暇を楽しもう」という風潮が認められてきて、仕事
ばかりすることが必ずしも美徳ではないという認識になっているのに。
▼ それが、最初に叩き込まれる「社員としての心構え」なのではないかと思うのです。
ほとんどの若者は、「〜としての心構え」っていう類のものをそれ以前に叩き込まれ
ていないと思うのですね。「○○大学の学生としての心構え」とか、そういう奴。
いわゆる一流大学の学生は、それなりに自分の大学にたいするプライドは持っている
と思うのですが、アンチ学歴的風潮からそういう考えはあまり肯定されない可能性が
あります。実際一歩間違えると実力ないくせに間違ったエリート意識ばかり持っている
DQNが出来上がるし。だから大学のほうもあまり強い教育はしません。せいぜいが、
「東工大生ってのは、考えるより先にまず実験/実装してみるものだ」くらいのもの。
▼ その前の高校、中学、小学校でもこういう教育をしません。
実は私が通っていた中学では、「栄光ある○○中学の生徒として」云々ということを
言っている先生が結構いましたが、義務教育で学区単位で集められた中学に対して
そういう誇りを持てるはずもなく、それに今思い返しても中学時代の教師はバカばっか
りだったこともあり、私は鼻であしらっていましたが。
▼ そうじゃなくてですね、義務教育の段階だったら、「日本国民としての心構え」っての
を教えないといけないのではないのかと。それが日本で生きていく上での「社会人と
しての心構え」なわけで。ここに至って、毎度のことですいませんが、日本の戦後史観
の話になるのですが、「日本国民として」という問題を考えることを、戦後ずっと回避
してきた結果が社畜の大量生産に繋がっているのではないかと。
▼ もちろん、「日本国民として」問題が難しいのは分かっています。じゃあ、日本国民
って何なの? 在日中国人、在日朝鮮半島人をふくめた在日外国人は? アイヌ民族は?
沖縄の人達の感情は? などなど、考えなければいけない問題はありますが、でも回避
するのは良くないのでは。少なくとも55年間も目をそむけ続けて良い問題ではない。
▼ などと。「人として自分はどう生きるか」を考えると、その過程で「日本人として
自分はどう生きるか」を考える必要はやはり出てくるよなあと思う、今日この頃なの
だったりします。そんなのが最近の俺テーマ。