告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2003-05-03 [Sat] 愛国心というもの
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asahi.comの記事で「通知表に愛国心という項目を設けている公立小学校が全国で
172校もある」というものがあった。朝日新聞というくらいで、文章のテイストは
「こんなことがあって良いのか」というもので、例えば本文中では「教育現場や
保護者から戸惑いや反発もでている」となっている箇所が、見出し文では「教育
現場や保護者から反発も出ている」とだけ書いてあったりする。こういう細かな
情報操作があざといな、マスコミめ。
▼ ちなみに、asahi.comに書かれている文章の範囲では、「教育現場や保護者から出て
いる戸惑いや反発」の具体的な例については、全く触れられていない。
▼ さて。どういうことかというと、
▼ 昨年度から始まった新学習指導要領では、小6社会科の目標の一つに「国を
愛する心情を育てるようにする」の言葉が加わった。 (asahi.comより引用)
▼ のを受けて、
▼ これらの学校では、日本の歴史や政治などへの「関心・意欲・態度」をみる
小6社会科の評価項目の文中に、国や日本を愛する心情を「持つ」「持とうと
する」といった言葉を挿入。「十分満足できる」「おおむね満足できる」「努
力を要する」の3段階などで評価していた。 (asahi.comより引用)
▼ <佐藤学・東京大学大学院教授(学校教育学)の話> 地域の広がりや採用
校の多さに驚いている。愛国心や道徳心といった個人の内面を国家がコントロー
ルする「心の管理社会」がまさに教育現場から始まりつつある。上からの強制
ではなく、評価で子どもの心を操作していくのが巧妙な点だ。今後は教育基本
法の改正で愛国心に法的根拠が与えられ、さらに統制が進む危険性がある。思
想信条の自由や民主主義を根底から覆す問題なのに、多くの教師や市民が無感
覚に受け流している。そんな時代のムードが恐ろしい。(asahi.comより引用)
▼ 最後の一文はその通りで、すべての国民が真剣に考えるべき問題だと思う。
だが、全体として考えてみた場合、どうだろう。「愛国心や道徳心といった個人の
内面」を国家や国家が運営する教育機関でコントロールしないとしたら、いったい
どうやってコントロールするのだろう。誰が道徳心を子供達に教えるのだろう。
「愛国心」という言葉が「戦前を連想させる」と言うが、この表現も不用意で、
(太平洋戦争)戦前と戦中とでは愛国心の意味するところに若干の違いがある。先の
見えない戦争を続けるための方便としての戦中の愛国心と、それ以前の日本を
なんとか持ち上げようとする(あえて国体という言葉は使わないが)愛国心とでは
異なると私は考えている。
▼ もちろん、自由社会なので人々が多様な価値観を持ち、それを互いに認めあう
ことは当然必要である。しかし国という枠であり共同体であるものの中で生活する
ためには、その中での共有できる認識もある程度は必要である。例えば、アメリカ
というのは多様な人種、多様な信条、多様な文化が混沌とし、マイノリティであって
もそれなりに生きていける社会であると同時に、根底には「俺たちアメリカ人。
アメリカ一番。アメリカ偉い。アメリカ正義」という共通の意識があって、それは
国家を挙げてそういう啓蒙をしていて、だからこそ国として成立しているのだと
言える。
▼ 日本の場合は、なんとなく島国って枠があって、なんとなく常識ってのがあって、
なんとなく国家が出来上がっているような気分になっているような気がするのだが、
外部の世界との情報や文化の流通が激しい現代社会では、そんな暢気なことは言って
いられない。日本とは何で日本人とは何で、自分達はどう生きるべきかを一人一人が
考えなければならない。
「これまでなんとなくやってきたんだから、それで良いじゃん」というのも一つの
考え方だが、「なんとなく」を実践するためには再び鎖国するしかない。
▼ 「思想信条の自由や民主主義」を表面的になぞるあまり、無思想、無信条、無価値観
になってはいないだろうか。多くの若者が、自らのアイデンティティを定められず、
何歳になっても自分探しを続け、国としての体力が落ちる一方なのが日本の現状なの
ではないだろうか。
▼ これを打破するためにも、人々のアイデンティティの拠り所としての愛国心は存在して
然るべきであると思うし、自分が今存在している社会の価値を教えるのが初等教育に
おける社会科教育の役割なのかもしれないとも思える。
▼ 補足:
この記事が取り上げている事柄の本質的な問題は何かというと、「個人の信条に対して
成績表の中で点数を付けている」ということである。Aという信条を持っている人は
5点で、持っていない人は1点、みたいな。
▼ その視点で見れば、「県弁護士会が今年2月、『思想・良心の自由を定めた憲法19条
違反の恐れがある』として」いることや、先の佐藤氏の「評価で子どもの心を操作して
いくのが巧妙な点だ」という指摘もうなずける。
▼ ただ、それよりも巧妙なのは、この記事を流し読みすると「戦前を彷彿とさせる愛国心
を小学校で植え付けようという教育がなされていて、その背後には文科省による指導
要綱の改定と、その先の教育基本法の改定があり、国家が思想統制を企んでいる」と
感じとれてしまうことだと思う。そのバイアスのかけかたには新聞社の思想が大きく
含まれていることに、注意しなければならない。