告知など
- 「勇者彼女がトイレから出てきません。」
- 彼女がうちのアパートに来たかと思ったらトイレに入って出てこなくて、 何をしているかというと、異世界で勇者をしている話。
- 「ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。」
- そろそろ子育てエッセイなどというものを書いてみようかと思った次第。
- 「小説生成システム開発計画 - プロジェクトNUE」
- 計算機に小説、いや、使い物になる文章を作らせてみようという試みを、 勉強しながらやってます。
2001-07-21 [Sat] ぐだぐだした土曜日
▼ 薬を飲んでぐだぐだする。
▼ ぐだぐだする。
▼ そしてぐだぐだする。
▼ さらにぐだぐだする。
▼ しかし家から出ないというのは不健全だと思い、図書館へ本を返しに行くこと
にする。でもって色々借りて来る。追々紹介しようと思う。
▼ 表紙のおっさんがうさんくさい。あやしげな宗教書の一種かと思って最初の数
ページを読んだのだが、これが実にシンプルかつ平易に書かれていて、大変読
みやすい。できあがった当初の仏教の教えが何であったのかを、いたって簡単
に述べていて分かりやすい。
▼ その中から釈迦の教えと親鸞の教えについて抜きだしてみよう。
▼ 釈迦、すなわち最初の仏陀の教えの本質は簡単である。
▼ 人はどうして悩むのか、それは己の欲望に因われているからだ。それから逃れる
ためには、欲望を消すことが必要である。
▼ 分かりやすい例を言えば、世の中で成功したいという欲望を持つからこそこの
世は住みにくくなるわけだ。そんな欲望はもたないほうが良い。これって、以
前から僕が言っている「束縛を受けるくらいから最初から所有しない方が良い」
というのに通じるものがあるまいか。
▼ # これについて、古橋秀之の「ブライトライツ・ホーリーランド」の中で、
# ヤコが死ぬシーンを思いだした。
▼ 次に親鸞の教え。
▼ 悩みを消そうなどとするな。そんなものは阿弥陀仏に任せておけばよい。
▼ 潔い教えでありますな。釈迦の教えとは対極のようですが、そうでもないよう
に思います。釈迦が自分を真摯にみつめて欲望からの開放を追求することをめ
ざしたのに対して、親鸞の教えはそこまでできない自分を受け入れようという
いわば現実的な妥協ですな。
▼ ダメな自分を受け入れるというのも必要なことだと思います。
▼ 「女子大生凌辱」
▼ というキーワードがあったとして、以前の私はこのキーワードはあえて言うなら
「お姉さん萌え」属性だったのですが(本当はお姉さんにはあまり萌えないけど)、
最近では「若いお嬢さん萌え」属性に変わってしまっているのです。
▼ いや単に自分が歳くったってだけなんですけどね。
▼ 悟りの道には通そうですが、そういう自分を受け入れるのが重要ということで。
▼ 本日のその他:
・ NetBSDのpkgsrcをcvs update
・ mew 2.00pre2に移る。最初の設定が結構面倒。info見てもあまり書いていない
ので、mew-vars.elを眺めつつ変数の設定をする。
・ NetBSD 1.5.1にupgrade。/etc/をunion mountしておくと変更点が少なくて良い。
・ NetBSDのsyssrcもcvs update
・ 見のがしたフルバの第三話は、WinMXでゲットした。すごい世の中になったものだ。