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2001-07-26 [Thu] 千と千尋の神隠し

仕事からの帰り。上野公園にて。

こげ茶色の小型犬を散歩させている人がいた。その犬はやけにじゃれつく犬で、

飼い主にだきついて、しまいにはだっこされてしまった。

ところが良く見ると、犬ではなくアライグマ。

アライグマの帽子をかぶった奴ではなくて、本物のアライグマ。

そのうちアライグマ一行様は犬とその飼い主がたむろする領域に近付いて行っ

た。果たして犬とアライグマは理解しあえるのだろうか。

アライグマが近付くと犬たちはそわそわしはじめ、その周りをぐるぐる回り始

めた。ちょっと吠えてみたりする奴もいたけど、ほとんどは適度な距離を置き

ながら様子を見る感じ。

理解しあえる仲にはいたらなかったようだ。

結論: 犬とアライグマの間には溝がある

でもって、「千と千尋の神隠し」を見ました。

さすがに幅広い年齢層が見に来ています。劇場は250名程度が入る場所で、

7割くらいの席が埋まっていました。

基本的に私は宮崎アニメは演出で見るものだと思っているので、全体のストー

リーが破綻してようが設定に矛盾があろうが、文句は言いません。個々の演出

が気持ち良いものであれば、それで良いと思う。

どうして両親が最初に飯をむさぼり食ったのかが分らんとか、肝心の両親との

再会のところが安直で良いのかとか、やっぱり課題が山積みになっているとか

には言及しません。

それよりは、階段を駆けおりるスピード感とか空を舞いおりる浮遊感とか、水

しぶきの気持ちよさとかドロドロしたもののドロドロ感とかが、気持ちよかっ

たらそれで良いじゃん、というわけです。

そして物語りから読み取れる、

・ 労働者は名前さえも奪われてこき使われる

・ だけどひたすら真面目に働けば良いことがある

・ 言われたことを素直に聞けば良いことがある

・ けなげな子は助けてくれる人が現れる

・ しかし、悪徳婆さんの下にいる他の労働者までも開放してやる必要はない

などの教訓が、日本社会の縮図なような気がして、ドキドキします。

ところで、この話しを要約すると「両親の借金の方に少女が風呂に沈められて、

そこの女主人の下僕の少年や労働者階級仲間に助けられるけど、自力で這い出

た気分になって幸せになる」ということでよろしいか。

というのは半分冗談にしても。

これまでの宮崎作品を鑑みると、「人間」と「人間じゃないもの(もののけ等)」

の関係というのが重要なポイントになっています。両者が共生できるかどうか。

宮崎作品のスタンスってのは、「両者は別物であり、必要があったら少しだけ

協力するのも良いけど、お互いにそれほど干渉するべきではない」だと思う。

人間とモノノケとの間にも溝がある。 けど、まあそんなもん。

僕もそのくらいが良いかなと思うけど、これってとても東洋的もののけとのつ

き合い方だと思うんですけど、どうなんでしょ。


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